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「山形女性医師ネットワーク」のお知らせ

第1回プチミーティング『保健所・行政のお仕事を山田敬子先生に聞こう』を開催しました

 以前ご案内したとおり、山形女性医師ネットワークの今年度からの新企画、いろいろな分野・科目で働く医師の仕事内容などを医学生数人でじっくり聞く会「プチミーティング」の第1回として、2月2日(日)10:00~
11:45、山形市の霞城セントラル22階の山形市市民活動支援センターの会議室Bで 『保健所・行政のお仕事を山田敬子先生に聞こう』を開催いたしました。
 山田敬子先生は、2009年から置賜保健所長を担当されていて、2019年11月20日に開催した講演会 第4回「Lifestyle-related Disease Seminar ~女性の健康を考える~」で『麻しん・風しんを中心とした感染症対策について』の講演をいただきました。
 今回は、山形大学医学部医学科3年生の女子医学生が、山田敬子先生にいろいろ質問し、詳しいお話を伺いました。
 
Q1.医師(行政医師)を志すようになったきっかけは?
 小さい時は獣医になりたかったのですけど、東京の進学校に在籍していたので医師志望に転向したものの、本当に医師になれるか不安でした。ただ高校2年生の時に、あるDrにお話を伺う機会を得て「医師は何でもできるよ」と言われ考えが開けました。また、浪人していた時、心療内科の基礎を築いた九州大学医学部の池見酉次郎(いけみゆうじろう)先生の「心療内科」という新書を読み、人間の心と体がつながっていることにとても興味を持ちました。一浪で何とか山形大学の8期生として入学できたのですが、大学卒業時は将来心療内科または緩和医療を志望していたので、東京で各科ローテーションのできる病院を選び2年間初期研修を行いました。ところが同病院の後期研修の途中で父が末期の癌と診断され、卒後4年目の1989年6月、たまたま山形県立中央病院呼吸器内科からお声がけをいただき、父母とともに山形に移ってきました。上司の勧めもあり、在宅で父のCVポートを私が管理し、たった2か月半で亡くなってしまったのですが、同僚の看護師から「先生だからできたのよね。」と言われたことが胸に刺さりました。その後は、担当していた末期の肺癌患者に対して、在宅療養を希望された場合には最期の1-2か月でも家に帰そうと(仲の良かった看護師とこっそりとボランティアで)訪問診療も行いましたが、限界を感じていたのも事実です。そんな時、ある講演会がきっかけとなり在宅緩和ケアのしくみを作りたいと考え、大学の先輩で保健所に勤務されている阿彦忠之先生に相談し、1997年4月病院から保健所に異動しました。

Q2.保健所はどんなことを行っているのかを教えてください。
 私が保健所長をしている置賜保健所は、村山保健所、最上保健所、庄内保健所とともに県の保健所ですが、今年から中核市である山形市保健所がスタートしました。県と(山形市を除く)市町村の保健センターとの大まかな役割分担ですが、住民健診や母子保健など身近な住民サービスは市町村で実施し、保健所は市町村への指導、助言を行うとともに、災害医療や食中毒・感染症、難病・精神疾患対応、糖尿病の重症化や高齢者の低栄養予防・喫煙対策などの健康づくり、医療機関や薬局・理美容・温泉施設への立ち入り、動物愛護や各種調査など、広域的かつ特殊な事案を担当しています。そのため、医師・保健師の他に、薬剤師、獣医師、栄養士、検査技師が所属しています(市町村は保健師と栄養士のみ)。
 医師が保健所長になるためには、公衆衛生の現場経験が3年以上であるか、国立保健医療科学院(埼玉県和光市)で3か月の研修を受ける必要があります。
            
Q3.今までで一番やりがいを感じた仕事は何ですか。
 いっぱいありすぎて、一つには絞れないです(笑)。例えば、気管支喘息については、臨床では受診した患者さんに対して治療するわけですが、行政では受動喫煙防止対策を通してその人の環境を整え守ってあげることが出来る、そういうところにやりがいを感じました。臨床では、症状が出て本人が医療機関に来ないと始まりませんが、行政では、本人が大丈夫だと言っても感染症の接触者や精神疾患の患者のように介入することができます。一言で言うなら、おせっかいな仕事ですね。喫煙対策では、2000年のNPO法人山形県喫煙問題研究会の立ち上げに関わったことも印象深いです。行政の仕事は、1人でやることではなく、「いろいろな人をつなぐ仕事」だということを実感しています。
また、2011年3月の東日本大震災では、発災から4日目の火曜日の朝、雪の降る中200人の避難者が保健所駐車場にあふれていたことを思い出します。この時はいち早く保健所での被爆線量検査を行えるよう態勢を整えたのですが、大震災の10年前に千葉の放射線医学研究所へ研修に行っていたので、直ちに放射線対策の基礎知識を職員に伝達し、過剰反応せず適切に対応ができたと思います。
また、2017年3月には、インドネシアに旅行した自動車学校の生徒が発端となり、麻しんのアウトブレイク(5都県7人を含む60人)が発生しました。この時は、保健所が診療所である強みを生かし移動診療所届を(自分に)出して、現場となった自動車教習所などで、私が緊急ワクチンの接種を行い感染拡大の防止を図りました。

Q4.今回の新型コロナウイルス肺炎についての山形県内での対応状況を教えてください。
 2019年12月、中国湖北省武漢市で原因不明の肺炎が発生し、感染が広がっています。原因は、新型コロナウイルス(2019-nCoV)と判明し、日本では2月1日から、感染症法上の「指定感染症」に指定する政令が実施され、2019-nCoV感染症の国内まん延を阻止するために、入国者への検疫の強化や入院勧告や就業制限などが可能となりました。
2003年のSARS発生の時は、私は県本庁で感染症担当でした。この経験から、正しく恐れるために、みんなで正しく情報を共有して対策を進めることが必要であることを実感しました。今回の新型コロナウイルスについても、県のマニュアル作成に関与するなどSARSの経験をもとに担当へアドバイスを行っています。
 註:コロナウイルスは、ヒトや動物の間で感染症を引き起こす病原体で、これまで6種類が知られていました。うち4種類は、咳や咽頭痛などの上気道症状しか引き起こさないウイルスで、いわゆる「風邪」の10~15%程度はコロナウイルスによるものです。あとの2種類は、深刻な呼吸器疾患を引き起こすことがあるウイルスで、2002年から2003年にかけての重症急性呼吸器症候群(SARS)(コウモリからヒトへと感染、致命率 9.6%)と2012年からの中東呼吸器症候群(MERS)(ヒトコブラクダからヒトへと感染、致命率34.4%)として世界的に流行しました。今回の新型コロナウイルスは7つ目のコロナウイルスとなります。 このウイルスはプチミーティング時には、「2019-nCoV」と呼ばれていましたが、国際ウイルス分類委員会が2020年2月7日までに「SARS-CoV-2」と命名し、WHOは2020年2月11日に、このウイルスによる感染症を「COVID-19」と命名しました。(2020年4月4日追記)

Q5.保健所での在宅医療とのかかわりは?
 ALSなどの神経難病や小児慢性特定疾患を持つ医療的ケア児に対しては、担当保健師が家庭訪問を通して療養支援を行っています。その他、訪問看護師のスキルアップ研修を企画するとか、保健所が主催する地域医療対策協議会の中に在宅両専門部会を設置し、課題を話し合っています。置賜地域では、ご高齢などで通院が困難な方の在宅医療はかなり行われるようになってきましたが、癌末期や、心不全終末期の在宅医療はまだなかなか進んでいない状況です。訪問看護ステーションは小規模のところが多く、24時間対応が難しいのが現状です。訪問診療を担当する医師の不足もあり、もっと多職種連携を進める必要があると思われます。
 
Q6.山田先生の一日を教えてください。
 山形市の自宅を6時台に出て、車と新幹線を乗り継ぎ米沢駅からは30分歩き8時15分頃に保健所に着きます。朝一番にメールチェックをし、前日の時間外に対応した感染症や精神の事案に関して報告を受けます。置賜総合支庁に所属する県職員約600人の産業医をしているので、午前中はメンタル職員の産業医面談を行うことが多いです。午後は、病院立ち入りや会議、総合支庁全体の会議などがあります。また、随時、難病・医療的ケア児・結核のケース検討なども入ります。朝8:30から17:15までが勤務時間ですが、帰宅は定時で帰っても19時過ぎですね。月に数回時間外の会議などがあり、その際は21時過ぎに帰っています。まさに、自分が希望していた動物愛護から精神的なケアを含め、高校時代にお聞きした「何でもできるよ」と言われたとおり、色々なことに関わる毎日です。
    
Q7.学生時代にやっておけばよかったことや視野を広げるために必要なことは?
 もっと英語の勉強を続けておけばよかったと思います。せっかく高校時代は得意な科目だったはずなのに、使わないまま錆びついてしまいました。また、医師になってからはプライベートな時間がなかなか取れず、結婚したのが40歳過ぎでした。もう少し早く結婚したら子供を持ちたかったなと思います。そのためにも学生時代にパートナーが見つけられたらよかったかなと思います(笑)。
 その他に公衆衛生は生活そのものが基盤なので、料理が苦にならない・好きなことは今も役立っています。他には両親や義母の付き添い・介護の経験から患者家族側に何度も立つことが出来、色々な視点を持てたことは今に生かされています。
 また、医師には体力が大事です。医学部入学した時、先輩に「医師に必要なのは、一に体力、二に体力、三・四がなくて、五にハート」と勧誘され、軟式テニス部に入って真っ黒に日焼けするまで運動して体力が付きました。臨床で連日連夜忙しい日々が続いた時はもちろん、行政に移ってからの災害や感染症対策で大変だった時も何とか乗り切れました。

Q8.山田先生の「軸」、ここはぶれないでおこう、ということを教えてください。
 長い人生の中で「こんなはずじゃなかった」と思うことが必ずあります。そんな時には「そこでやれることを精一杯やろう」と考え、実行することにしています。また、部下を持つと「何でそんな風にやっちゃったの‼」ということが、きっとあります。そんな時は、「やってしまったことはしょうがない、これから何ができるかを考えよう」と呪文を唱えることにしています。「今、ここでやれることを精一杯やろう」が私の軸かも知れませんね。

 司会(山形女性医師ネットワーク会長) 本日は、いろいろなお話をお聞きできました。お二人ともどうもありがとうございました。

(2020年2月27日 プチミーティングの内容を追記しました。)